西表島移住20周年記念 その1
初めて西表島を訪れた36年前の記憶を思い出す。
西表島Memory
1985年夏、当時私の愛読書?であった”週刊プレイボーイ”の中綴じにカラー8ページにわたり西表島特集の記事が掲載されていました、これを見た私は、「これは行くしかない!」と思い立ち後輩 Yを誘い夏休み+有給休暇併せて9日間
の休みを取り西表島へ出かけることにしました
当時のレジャーの主流はテーマパーク、有名観光地、温泉などに出かけるのが多く(今でも?)「西表島へ行く」ために休暇を取るというと周囲の目は冷ややかな、異端児を見るような目で、まあ自分の休暇だから好きなように使えば、という感じでした。
出発は8月第4週目、今考えれば一番ヤバイ時期です
福岡空港から那覇空港を経由し石垣島へ到着、離島桟橋(当時はターミナルではなく桟橋です)から西表島上原へ向かおう、と、ここで場外アナウンス「台風接近の為船浦港(当時、今は上原)行きはこの便が最後となります」ちょうどよかったと乗船、しかしこれが悪夢の始まり今では絶対欠航の中を進んでいきます、窓から外を見ると、波は船の上を超えています、運転席の両サイドから波しぶきが船内に入ってきます(当時は解放だった)生きた心地がしないとは此のこと。無事到着しました、プレイボーイ取材班が泊ったカンピら荘に宿泊します、が台風襲来で二日間何もできません、三日目まだ波が高く海にも行けません、しかし港内で釣りをしている人がいたので行ってみるとじゃんじゃん釣れます、海水が濁って見えませんでしたが相当水深があるのだろうと思いました、しかし透明になってから見ると1m位でした、こんなに浅いのに。
三日目、つぎの台風が来ます、何もできないので宿の向かいの喫茶店「ロビンソン小屋」の愛犬ロビン(確かデッカイゴールデン)と並んで歩道に座り込みビールを飲んで過ごしました。
宿の周辺が一番の繁華街、といっても小さい売店の様なスーパー以外何もありませんが唯一レンタルビデオ店がありました、当時はテレビ放送はNHKしかなく、本土で放映されていた民放の番組を録画した物が商品でした、隣の居酒屋らしきお店の前に生け簀があり中には一キロはゆうに超えそうなガザミが4~5匹入っていました。